はじめまして。横浜キリスト福音教会で牧師をしております、中上勝雄と申します。私が横浜に住むようになってからの10数年の間を振り返ると、この世界では本当に色々なことが起こったと思わされます。巨大震災や豪雨・台風、新型コロナウイルスなど、毎年のように何らかの大規模な自然災害が発生してきました。
また、人間の手による悲しい殺傷事件も毎日のように発生し、日本中が心を痛めて来ました。連日のようにメディアで報道されている経済動向、人口動態、国際競争、環境破壊などの要素から生じる将来への不安は年々増すように感じます。私が子どもの頃を思い出すと、世の中全体がもっと明るくて、将来への希望が感じられたような気がします。皆さんはどのように感じていますか。
「今の時代は暗い」「現代の世の中には希望が感じられない」「現代社会は複雑かついびつで生きづらい」といった類の表現は多くの人が口にするかもしれません。ではもっと昔の人々は素朴で自由な生活を送り、皆が夢や希望を持って生きていたかと言えば、どうもそうではなさそうです。
聖書は古代に書かれた書物ですが、その古代世界の人々も21世紀の私たちと同じように、多くの人々が「暗闇」と感じる世の中を生きていたことが書かれています。どれだけ技術や教育レベルが進歩しても、結局人間の根本は変わりません。人は大自然界に対しては無力でちっぽけな存在であり、人間同士で互いに傷つけ合ってしまう悲しい性を持ち、自分で自分の人生を狂わしてしまうような愚かな生き物なのです。それを思うと、さらに気持ちも暗くなります。
聖書には、「神は光である」と記されています。光とは暗闇の中でこそ、その輝きをいっそう放つものです。自分の人生や世の中が「明るい」と感じている時には、なかなか神の光には気が付かないものです。しかし、もし私たちが人生や世の中を暗く感じている時ならば、神の光に目を留めるようになるのではないでしょうか。私自身もそのようにして神の光を見出しました。
家族、親族、友人の中に一人もクリスチャンなどいない環境で生まれ育った私は、自分の人生に行き詰まり、自分自身の愚かさと無力さに打ちのめされるまではキリスト教など全く興味がありませんでした。そんな私が自分の育った町に教会があることを知ったのは、夜の闇に輝く十字架(教会の屋根の十字架が電気で照らされて光っていた)に気がついた日でした。
後で聞いた話ですが、その教会の建物を建てる時に、「夜、うなだれて歩いている人に気が付いてもらえるように、夜は電気で十字架が光るようにしよう」と、費用を余計にかけてくれていたのです。そのおかげで、私は神の光を見出すことができました。そしてこの21世紀、どれほど不安が満ちた暗い世の中だったとしても、私は決して失うことのない希望をもって生きていることができているのです。
私たち横浜キリスト福音教会の屋根にも、大きな十字架が設置されています。そして夜になるとライトアップされ、ひと際よく見えるようになります(東白楽駅のホームからですとよく見えます。ぜひ一度ご覧になってみてください)。かつての私がそうであったように、このホームページをご覧になっているあなたにも神の光を見出してほしいのです。
私たちクリスチャンには人々を幸せにする力はありません。しかし、神には人に生きる希望と力を与え、どんな状況にも失うことのない平安を与えることがおできになるのです。神は目には見えませんが確かに存在され、私たちの切なる祈りを聞いてくださいます。私たちの教会でともに聖書を学び、神との関係を築きませんか。教会員一同、心よりお待ちしております。