私は子どもの頃より「気分変調症」という心の病に苦しんできました。そのように診断されたのは、実は中年以降になってからです。医師曰く、難治性のうつも併発しており、診断後は毎日抗うつ剤を服用しています。ですから、医師から診断されるまでの人生の長い期間を、「抑うつ」という長く辛いトンネルを私は通ってきたのです。精神障害の苦しさというのは、それを経験していない人に説明するのが困難です。文字通り、私は精神の苦痛に、のたうち回りながら生きてきました。そのような私が、どのように救いに至ったかをお証させていただきたいと思います。
失意のうちに大学を卒業し、就職した最初の会社も8か月の在籍ののち退職し、私は無職になりました。この先どうすればよいのか、まったくわからない混沌とした状態でした。そんな中、書店に立ち寄りました。そこで、ある牧師の証が記された書籍と出会いました。かつて極道の世界に身を置き、その世界で行き詰まりイエス様に救われ、奇跡的な人生の転換を体験された先生のお証しでした。私も当時、人生に行き詰まりを感じていました。何をやってもうまくいかない現実を前に、怖れと絶望感がありました。新約聖書を買い求め、1週間ほどで読み終えたと記憶しています。インターネットで教会を調べ、礼拝に生まれて初めて出席しました。私は決意していました。聖書の神に自分の人生を賭けると。藁をも掴む思いだったのです。長年の抑うつ生活で私は自分が無力であることを認めざるを得ませんでした。世間的には敗北者そのものでした。何もできない、赤子のような自分。その自分にできることは、ただ聖書の神に泣きながら救いを求めることだけでした。
そして、私は洗礼を受けることを許され、受洗しました。神様は混沌とした私の人生に初めて秩序を与えてくださいました。当時も抑うつがひどく、本当につらかったですが、神様は私を見捨てることなく導いてくださいました。何事も手につかなかった状態の私に職能を身に付けられるよう、やる気と忍耐力を授けてくださいました。抑うつの中、専門性を身に付けるべく努力を重ねました。その努力は結実し、今の生活につながっています。
救われてからも多くの試練がありました。抑うつで頭の回転が鈍っている中、職場の同僚から容赦ないハラスメントを何度も経験しました。出勤時に激しい吐き気に襲われながら、毎日職場で戦っていました。神様はその試練とともに脱出の道も用意してくださっていました。その幾重の試練を通して、私は整えられてきたと感じています。今も厳しい局面はありますが、当時のことを思えば、乗り越えられます。
人生はよく旅に例えられます。私もそう思います。神とともに歩むことを学ぶ旅です。晴れの日も雨の日も、変わらず神がおり、私を導いてくださるという一貫性を感じています。その一貫性に、私は安らぎを覚えます。